第1章
第4話:夕焼けに光る涙①
――俺は、もう小説が書けないかもしれない。
(あれって、どういう意味かしら……?)
花柚は真剣な表情で首をかしげて、考える。
(わたしはそんなに小説を書いたことがないから、わからないけど……スランプってやつかしら?)
(でも、あの言い方はめちゃくちゃ深刻そうだったわ。……部活内のトラブルとか!?)
(ああ、でも、椿先輩とぎくしゃくしてるって感じじゃ、なかったわ。美冬ちゃんとは、兄妹だし……)
「うぅぅぅ~ん……」
花柚は文字通り頭を抱え、机につっぷした。
……何やってるんだろう。
杏子は少し離れたところから、あきれたような目でその様子をながめていた。
くるくる表情や動きの変わる花柚は、とてもわかりやすい。
何か考え事(というより、迷走?)をしているのは、杏子でなくてもわかることだった。
それでも……と、杏子は思う。
花柚は、肝心なことは奥深くに閉じ込めてしまう子なのかもしれない。
いまは五時間目が終わったばかりの、休み時間。
今日の給食は、花柚も無事に食べることができた。
杏子のほかにも、三人の女の子と一緒だった。
そのうちひとりは、杏子と同じ小学校の出身だ。
いつも一緒にいるわけではないけれど、何かの班決めのときはすんなり、「一緒にやろう」と言い合える……そんな子たち。
彼女たちに「花柚ちゃん」と呼ばれ、話もそれなりに盛り上がっていた。
でも杏子には、花柚が無理をしているように見えたのだ。
目に見えてオドオドしていたわけではない。
むしろ、花柚は明るく笑っていた。
なのに杏子には、その表情が不自然に映ったのだ。
「……あっ。杏子ちゃん!」
杏子の視線にようやく気づいた花柚が、嬉しそうに近づく。
「次、理科室なのよね? どこにあるの?」
「一緒に行こっか」
「うん!」
ぱあっと笑う花柚は、とても可愛らしく、はつらつとしている。
弱々しいイメージなんて、浮かばないはずなのに。
それでも杏子が気になってしまうのは、先日、具合を悪くした花柚を目の当たりにしたからだろう。
(……いつか、この子が何を抱えているのか、わかる日が来るのかな)
花柚と同じように、杏子も願うようになった。
この子のことを知りたい。仲良くなりたい、と。
*
ふたりで教室を出て、理科室へ向かう。
けっこうな距離があって急ぎ足になってしまうけれど、花柚は楽しそうにニコニコしていた。
「あっ……」
と思えば、何か思い出したように杏子を見上げる。
「ねえ、杏子ちゃんって、剣道部なのよね?」
「ん? そうね。どうしたの?」
「剣道部って、男子も同じところで部活するの? ……えっと、佐野くんとか」
「……ああ、佐野ね」
杏子は雪也の顔を思い浮かべ、微笑んだ。
「剣道場はひとつしかないから、一緒にやってるよ。それに佐野は、私と同じ小学校だったし」
「えっ、そうなの?」
「あはは、田舎だもん。うちの生徒の半分は、同じ小学校出身よ。……今は、日渡とよくつるんでるみたいだけど」
「しずくん! そうなんだ」
花柚のいとこである静彦との接点も見つけ、花柚はぱぁっと表情を輝かせる。
「日渡の方は、六年生になる頃から仲良かったんじゃないかな」
杏子も雪也に対して、それなりに好印象を抱いていた。
ぶっきらぼうで恥ずかしがりやだけど、なんでも真面目にとりくむ優等生。
それは杏子に限らず、大半の生徒が雪也に抱いているイメージだ。
「へ~! クラスちがうから、そういうのわかんなかっ、」
そこで、花柚の体が大きく揺れる。
向こうから歩いてきた女子生徒が、すれ違いざまに花柚にぶつかってきたのだ。
よろけて転びそうになる花柚の肩を、杏子があわてて支える。
「ご、ごめんなさい!」
花柚があわてて、女子生徒に頭を下げる。
転ばなくてよかったと安心しながら、杏子はぶつかってきた相手に不信感を抱いた。
花柚が謝る必要性を、まったく感じない。
だって彼女は、わざと花柚にぶつかってきたようにしか見えなかった。
それに……杏子の知っている相手だ。
「……美和(みわ)」
名前を呼ぶと、女子生徒はまゆをつり上げた。
くせの強い短めのボブカットに、勝ち気そうな瞳。
制服の胸元にある緑色のリボンは、花柚たちと同じ二年生――岡本美和(おかもと みわ)と言う。
岡本はきつい目つきでふたりをにらみつけてから、
「……ちっ」
はっきりと舌打ちをして、歩いていってしまう。
その態度に杏子はかちんときて、声をはりあげた。
「ちょっと! それはないんじゃない? この子に謝りなよ。……ねえ!」
杏子の制止も聞かず、岡本はずんずんと歩いていってしまった。
花柚は混乱しながらも、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
わざとぶつかられるのは、以前の花柚にはよくあることだった。
そのときの光景がフラッシュバックするのを、ぐっとこらえる。
ふうっと長い息をついてから、杏子に尋ねた。
「……杏子ちゃん、知り合い?」
杏子はいたわるような目で花柚を見つめてから、こくりとうなずく。
「うん……あいつも、同じ小学校だったの。でも最近……色々、あって」
はあ、とため息まじりに言ってから、杏子は花柚の頭に触れる。
「まあ、あんたが転ばなくてよかった。びっくりしたでしょ」
「うん、ちょっと……。でも、いいわ! それより授業、はじまっちゃう!」
そう言った瞬間、チャイムが鳴った。
「やばいやばい、遅刻!」「ひゃ~っ、杏子ちゃん、急ぐのよ~っ!」とふたりで言い合いながら、理科室へ向かう。
転校してから、花柚は優しい人たちに恵まれていたけれど。
中学生は、むずかしいお年頃だ。
気が合う子ばかりではなく、ぎくしゃくしたり……時には、悪意をぶつけられたりすることもある。
……それは、避けようのないことなのかもしれない。
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