「忘れても、いいんだよ」

前編


 しんしんと雪が降りつもる、十二月の夜。
 ただいま、深夜の二時過ぎ。

 この女子寮は、たくさんの寮生が住んでいてにぎやかだけど、今はさすがに静かだ。みんな眠りについているか、夜勤のアルバイトに出かけている頃だろう。わたしみたいに、こっそり夜更かしをしている子も、いるかもしれない。

 共用のキッチンでココアを入れ、薄暗い廊下を歩く。二十三時には消灯され、豆電球のわずかな明かりだけが頼りだ。
 ほかほかと湯気の立つマグカップをこぼさないように、そろり、そろりと歩く。

 部屋のドアを開けるときもやっぱり、そーっと。
 ルームメイトはすでに休んでいて、すぅ、すぅ、と、可愛らしい寝息が聞こえてくる。ぐっすり眠れていて、よかった。でも、わたしが乱暴な物音を立ててしまったらおしまいだ。
 ドアを閉めるときも、机に向かうときも、こっそり、こっそり。

 テーブルランプが灯されている、わたしの机。マグカップを置いて、椅子を引き、腰を落ち着ける。
 ふわふわのブランケットをひざにかけると、よし、と気合いを入れた。

 これからわたしは、手紙を書くんだ。
 だいすきな、あの人へ。





 純平くんは、ぶっきらぼうな男の子だ。
 部活の野球と、好きなバンド以外には、ほとんど興味を示さない。

 同性の友達も少なかったようだし、女の子と親しく話すなんて、もってのほか。クラスの女子も、純平くんを怖がって、話しかけるのも勇気がいるようだった。本人も「女子は苦手だ」とぼやいていたし。

 そんな純平くんがなぜ、わたしと付き合ってくれたのか。今でも、よくわかっていない。

 たまたま、高校の三年間、同じクラスで。
 たまたま、美化委員でいっしょに活動していて。
 たまたま、席が近いときが多くて。

 じんわりと深まっていった”好き”って気持ちを伝えたら、純平くんはあっさりとうなずいてくれたっけ。

「おう」なんて言いながらそっぽを向いた純平くんの耳が、ほんのり朱に染まっていたことを、わたしはずっと忘れられないでいる。

 純平くんはクールで、無愛想で。でもそれだけの子じゃないって、わかっているんだ。
 好きなことについて話すときは、子供のように目を輝かせる。
 口数は少ないけれど、やりたいことはすぐに行動に移す。

 ”不言実行”がここまで似合う子を、わたしは他に知らない。それくらい、まっすぐなんだ。

 知れば知るほど、純平くんを好きになっていくのに。
 付き合いだしたのは三年の夏休みだったから、すぐにお別れが来てしまった。

 純平くんは地元で就職をした。
 わたしは大学に通うため、上京している。

 遠距離恋愛がこんなに寂しいなんて、告白するときは考えもしなかった。

『寂しい思いをさせちゃって、ごめんね』

 わたしが告白しなければ、恋仲にならなかったのに。
 そうすれば、お別れのつらさを知らずに済んだのに……。

 どうしようもないわたしの謝罪を聞いて、純平くんは眉をつりあげた。
 怒られる。
 びくっと身構えたわたしの頭に、純平くんの手が触れた。
 驚いた。頭を撫でてくれたことなんて、一度もなかったから。

「俺は、楽しみだけどな」

 思いがけない言葉に、わたしはさらに目を丸くして、純平くんを見上げた。

 純平くんは、わたしを見てはいなかった。どこか遠くを見つめながら、耳を真っ赤にしている。それはまさに、わたしからの告白をOKしたときと同じ仕草だった。

「お前に、会いに行けるだろう? それにさ、旅行もしようぜ。金を貯めたら、遠いところだって行ける。今はまだ無理なことでも、大学生になったら、できるじゃねえか」
「それに……お前がずっと行きたいって行ってた学校だろう?」

 純平くんが、わたしを見て微笑んだ。
 涙が止まらなかった。ふだん無口な純平くんが、こんなにもわたしを想ってくれているんだって、実感したからだ。泣きじゃくるわたしの頭を、ずっと撫でつづけてくれていた。

 未来への不安が、綺麗さっぱり消えたわけじゃない。
 でも、この人がいるなら、不安を抱えたままでも大丈夫だって、そう思った。

 そして季節はめぐり、純平くんと離れてから最初の冬が来た。
 わたしたちは今も、交際を続けている。
 そして年末、わたしは初めて、地元に帰省をするんだ。

 純平くんに、やっと、会いにいける……。





 思っていたより、長いお手紙になってしまった。

 書き終えた便せんを読み返す。
 手紙を書くのは、ずいぶん久しぶりだ。小学生以来かな。レターセットも持っていなかったので、雑貨屋さんで選んできたのだ。
 雪化粧が描かれた、水色のレターセット。
 便せんの三枚分、わたしの想いがびっしり書かれている。

 ……引かれないかな。


 純平くんは決して、筆まめな方じゃない。
 スマホでのやりとりすら素っ気ない『ああ』『おう』『わかった』ばっかりだ。それなのに、こんなに長い手紙をもらって、喜んでくれるとは思えなかった。

 ……やっぱり、送るのやめようかな。

 ついつい弱気になりかけて、いやいや、と思い直す。
 ここまで書いたのだから、送ろう!

 あらかじめ買っておいた切手を貼る。純平くんの家の住所と、わたしの住んでいる寮の住所が、ちゃんと書かれていることを確認した。
 あとは明日、ポストに投函するだけだ。

 ほっとして、椅子の背もたれに寄りかかる。
 マグカップへ手を伸ばし、残っていたココアを口に運ぶと……。

「……つめたっ」

 キンキンに冷えていて、思わず笑ってしまった。それだけ熱中していたわけだ。
 もったいないので、最後まで飲みきった。空になったマグカップを、寝る前に洗ってしまおう。
 立ち上がると、窓の外を見上げる。

 黙々と手紙を書いていたわたしを、月明かりが、照らしてくれていた。

(……純平くん)

 こんな時間だから、あなたは夢のなかだろうけど。
 眠っているあなたのことだって、月は、照らしているんだよ。

(わたしの想いが、届きますように)


後編へつづく…。
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