「忘れても、いいんだよ」
前編
しんしんと雪が降りつもる、十二月の夜。
ただいま、深夜の二時過ぎ。
この女子寮は、たくさんの寮生が住んでいてにぎやかだけど、今はさすがに静かだ。みんな眠りについているか、夜勤のアルバイトに出かけている頃だろう。わたしみたいに、こっそり夜更かしをしている子も、いるかもしれない。
共用のキッチンでココアを入れ、薄暗い廊下を歩く。二十三時には消灯され、豆電球のわずかな明かりだけが頼りだ。
ほかほかと湯気の立つマグカップをこぼさないように、そろり、そろりと歩く。
部屋のドアを開けるときもやっぱり、そーっと。
ルームメイトはすでに休んでいて、すぅ、すぅ、と、可愛らしい寝息が聞こえてくる。ぐっすり眠れていて、よかった。でも、わたしが乱暴な物音を立ててしまったらおしまいだ。
ドアを閉めるときも、机に向かうときも、こっそり、こっそり。
テーブルランプが灯されている、わたしの机。マグカップを置いて、椅子を引き、腰を落ち着ける。
ふわふわのブランケットをひざにかけると、よし、と気合いを入れた。
これからわたしは、手紙を書くんだ。
だいすきな、あの人へ。
*
純平くんは、ぶっきらぼうな男の子だ。
部活の野球と、好きなバンド以外には、ほとんど興味を示さない。
同性の友達も少なかったようだし、女の子と親しく話すなんて、もってのほか。クラスの女子も、純平くんを怖がって、話しかけるのも勇気がいるようだった。本人も「女子は苦手だ」とぼやいていたし。
そんな純平くんがなぜ、わたしと付き合ってくれたのか。今でも、よくわかっていない。
たまたま、高校の三年間、同じクラスで。
たまたま、美化委員でいっしょに活動していて。
たまたま、席が近いときが多くて。
じんわりと深まっていった”好き”って気持ちを伝えたら、純平くんはあっさりとうなずいてくれたっけ。
「おう」なんて言いながらそっぽを向いた純平くんの耳が、ほんのり朱に染まっていたことを、わたしはずっと忘れられないでいる。
純平くんはクールで、無愛想で。でもそれだけの子じゃないって、わかっているんだ。
好きなことについて話すときは、子供のように目を輝かせる。
口数は少ないけれど、やりたいことはすぐに行動に移す。
”不言実行”がここまで似合う子を、わたしは他に知らない。それくらい、まっすぐなんだ。
知れば知るほど、純平くんを好きになっていくのに。
付き合いだしたのは三年の夏休みだったから、すぐにお別れが来てしまった。
純平くんは地元で就職をした。
わたしは大学に通うため、上京している。
遠距離恋愛がこんなに寂しいなんて、告白するときは考えもしなかった。
『寂しい思いをさせちゃって、ごめんね』
わたしが告白しなければ、恋仲にならなかったのに。
そうすれば、お別れのつらさを知らずに済んだのに……。
どうしようもないわたしの謝罪を聞いて、純平くんは眉をつりあげた。
怒られる。
びくっと身構えたわたしの頭に、純平くんの手が触れた。
驚いた。頭を撫でてくれたことなんて、一度もなかったから。
「俺は、楽しみだけどな」
思いがけない言葉に、わたしはさらに目を丸くして、純平くんを見上げた。
純平くんは、わたしを見てはいなかった。どこか遠くを見つめながら、耳を真っ赤にしている。それはまさに、わたしからの告白をOKしたときと同じ仕草だった。
「お前に、会いに行けるだろう? それにさ、旅行もしようぜ。金を貯めたら、遠いところだって行ける。今はまだ無理なことでも、大学生になったら、できるじゃねえか」
「それに……お前がずっと行きたいって行ってた学校だろう?」
純平くんが、わたしを見て微笑んだ。
涙が止まらなかった。ふだん無口な純平くんが、こんなにもわたしを想ってくれているんだって、実感したからだ。泣きじゃくるわたしの頭を、ずっと撫でつづけてくれていた。
未来への不安が、綺麗さっぱり消えたわけじゃない。
でも、この人がいるなら、不安を抱えたままでも大丈夫だって、そう思った。
そして季節はめぐり、純平くんと離れてから最初の冬が来た。
わたしたちは今も、交際を続けている。
そして年末、わたしは初めて、地元に帰省をするんだ。
純平くんに、やっと、会いにいける……。
*
思っていたより、長いお手紙になってしまった。
書き終えた便せんを読み返す。
手紙を書くのは、ずいぶん久しぶりだ。小学生以来かな。レターセットも持っていなかったので、雑貨屋さんで選んできたのだ。
雪化粧が描かれた、水色のレターセット。
便せんの三枚分、わたしの想いがびっしり書かれている。
……引かれないかな。
純平くんは決して、筆まめな方じゃない。
スマホでのやりとりすら素っ気ない『ああ』『おう』『わかった』ばっかりだ。それなのに、こんなに長い手紙をもらって、喜んでくれるとは思えなかった。
……やっぱり、送るのやめようかな。
ついつい弱気になりかけて、いやいや、と思い直す。
ここまで書いたのだから、送ろう!
あらかじめ買っておいた切手を貼る。純平くんの家の住所と、わたしの住んでいる寮の住所が、ちゃんと書かれていることを確認した。
あとは明日、ポストに投函するだけだ。
ほっとして、椅子の背もたれに寄りかかる。
マグカップへ手を伸ばし、残っていたココアを口に運ぶと……。
「……つめたっ」
キンキンに冷えていて、思わず笑ってしまった。それだけ熱中していたわけだ。
もったいないので、最後まで飲みきった。空になったマグカップを、寝る前に洗ってしまおう。
立ち上がると、窓の外を見上げる。
黙々と手紙を書いていたわたしを、月明かりが、照らしてくれていた。
(……純平くん)
こんな時間だから、あなたは夢のなかだろうけど。
眠っているあなたのことだって、月は、照らしているんだよ。
(わたしの想いが、届きますように)